自然科学の部選考委員会
委員長 堀越 孝雄
第29回南方熊楠賞 自然科学の部は、候補者としてあげられた9名の中から慎重に審議した結果、南方熊楠賞の受賞者に馬渡駿介氏を選考した。
馬渡駿介氏は、1974年に北海道大学大学院理学研究科博士課程を修了し、理学博士の学位を取得後、日本大学医学部の助手、講師を経て、1982年に北海道大学理学部の助教授、その後、教授、同大学理学研究科教授、同大学総合博物館館長などを歴任し、2010年に定年退職され、現在北海道大学名誉教授である。1969年大学院修士課程に進学後現在に至るまでの50年間、一貫して無脊椎動物の種分類学に関する研究に邁進してこられた。氏が最も力を注いだ研究は、苔虫動物門に属し淡水から海水に生息る、コケムシと呼ばれる群体性の固着生物に関するものであり、多くの新種を含む日本産コケムシ類の種類相を明らかにした。特に、ヒラハコケムシの卵割から群体の形成、群体の季節消長を詳細に記載し、その内容は、氏の博士論文の骨格となった。さらに、世界中のコケムシ標本との比較研究も行い、いくつかの科・属・種についての分類体系に改訂を加えた。苔虫動物に加えて、大学院生と共同で、刺胞、紐形、環形、線形、動吻、および節足の合計7つの動物門にわたり、いくつかの新属と多くの新種を含む記載論文を発表した。このように広範な動物門にわたる記載論文を発表した分類学者はこれまで他に例を見ない。
氏は、明治12年に来日した外国人教師ルートウィヒ・デーデルラインが収集し、母国ドイツに持ち帰った日本産動物標本を十数人の分類学者の協力を得て調査し、多数のタイプ標本と3,000種以上からなる130年前の日本の無脊椎動物相を明らかにした。この調査は、同時に、時間と国境を越えた学術交流に繋がった。
氏の研究成果は、130報あまりの欧文原著論文に著わされており、これらの業績により、2002年に日本動物学会賞、2004年に日本動物分類学会賞を受賞した。この間、氏は多くの学生・大学院生を指導し、無脊椎動物分類学の後継者を育成した。また、多くの優れた分類学関係の著書、翻訳書、総説・解説、図鑑等を監修・編集・執筆され、分類学の普及と振興にも貢献した。
動物界の分類形質の多様性を反映して、動物分類学者はそれぞれ9つの分類群別の学会に分かれて活動している。氏は、分類学に基礎を置いた生物多様性の解明や分類学の地位向上の必要性を痛感し、有志と共に分類群別学会の統合に尽力した。その結果、2000年には「日本動物分類学関連学会連合」が、2002年にはついに植物学関係学会とも統合した「日本分類学会連合」が発足した。氏は、日本動物分類学会会長、日本動物学会の評議員、国際動物命名規約委員会委員などを歴任し、国の内外で分類学の発展に貢献した。
氏は、2011年の東日本大震災により自然史関係標本が失われたことに危機感を抱き、定年退職後、日本学術会議、各種のシンポジウム、雑誌などを通じて自然史関係標本の重要性を訴える活動を続け、有志と共に2016 年「一般社団法人国立沖縄自然史博物館設立準備委員会」を立ち上げ、現在理事として精力的に活動している。
今日分子系統学的手法が主流の分類学界において、広範な無脊椎動物についてフィールドにおける丹念な調査・研究に基づき種を記載・分類するという馬渡駿介氏の姿勢、さらに、自然史科学研究の一層の発展のために自然史博物館の設立を目指す活動などは、熊楠翁の精神に通じるものであり、同氏を第29回南方熊楠賞受賞者として選考した。