富田川の河口付近から北西に向かって延びる南白浜海岸の北端付近に位置する。標高約35mの海岸段丘の突端にあたり、地層は新生代新第三紀に属する砂岩層・泥岩層、及び砂岩・泥岩の互層から成る。境内には1832(天保3)年6月の刻字のある石燈籠が残り、南富田村が海運・漁業で栄えた江戸時代後期に四国から金毘羅大権現を勧請したことを物語る。金刀比羅神社は、田中神社とともに熊楠が「熊野三景の一つ」に数えた景勝地である。さらに、大間磯からシガラミ磯にかけて五色ヶ浜の海岸に臨む眺望絶佳の境内は、地震海嘯に際しても大いに有用だと指摘した場所でもある。富田川沿いの村落に存在した多くの神社は郷社格であった日神社へと合祀することとなったが、南富田村内に神社が一つもなくなることを憂えた村民有志が神社の再建・復旧を訴え、1911(明治44)年に金刀比羅神社は復社を勝ち取った。海浜・海域への展望景観を含め、緑樹が覆う境内の風致景観は今なお良好である。
※写真は令和3年2月~6月に開催した「南方曼陀羅の風景地Instagramスタンプラリー」の投稿写真を掲載しています。
南富田村の金刀比羅社は、古え熊野の神ここに住みしが、海近くて波の音一聒しとて本宮へ行けり。
熊野三景の一とて、眺望絶佳の丘上に七町余歩の田畑山林あり。
『神社合祀に関する意見』
南方曼陀羅の風景地
田 辺 市 : 神島、鬪雞神社、須佐神社、伊作田稲荷神社、継桜王子、高原熊野神社、奇絶峡、龍神山、天神崎
上富田町: 八上神社、田中神社
白 浜 町 : 金刀比羅神社
串 本 町 : 九龍島