田辺湾の中央部に浮かぶ東西約350m、南北約250mの小島で、標高23.5mの「おやま」とやや低い「こやま」の2峰から成る。島の地質は新生代新第三紀中新世に属する堆積岩で、照葉樹を中心とする深い樹叢が全島を覆っている。「おやま」の最高所には海上鎮護の神を祀った神島神社が鎮座し、漁民は島の樹叢を魚付き林として大切にしてきた。樹叢は、往時のタブノキ・ムサシアブミ群集から、エノキ・ムクノキを含めホルトノキ・クスノキ・バクチノキを主体とする樹叢へと遷移しつつある。熊楠は1902(明治35年)以来、約40年にわたり広く神島の林床に生育する菌類・粘菌類・高等植物等の調査研究を行い、長く諸人の崇敬を集めてきたことが神林の生息生物の中に他所にはない希少種を生む結果を生んだことを指摘した。1908(明治41)年の合祀により神島神社の神林は伐採の危機を迎えたが、熊楠を中心に村民が協力して保存活動に奔走した結果、1912(明治45)年の保安林指定により保存が実現した。1929(昭和4)年、熊楠は神島において昭和天皇への粘菌類に関する御進講を行い、1935(昭和10)年の天然記念物指定を経て神島の陸域の保存は確実となった。豊かな漁場である周辺の海域を含め、神島の地形・植生が形成する現在の風致景観は優秀である。
※写真は令和3年2月~6月に開催した「南方曼陀羅の風景地Instagramスタンプラリー」の投稿写真を掲載しています。
この島(神島)の草木を天然記念物に申請したのも、この島になんたる特異の珍草珍木あってのことにあらず。
田辺湾固有の植物は、いまや白浜辺の急変で多く全滅し、また全滅に近づきおる。しかるに、この島には一通り田辺湾地方の植物を保存しあるから、後日までも保存し続けて、むかしこの辺固有の植物は大抵こんな物であったと知らせたいからのことである。
「新庄村の合併について」牟婁新聞 昭和11年8月23日
南方曼陀羅の風景地
田 辺 市 : 神島、鬪雞神社、須佐神社、伊作田稲荷神社、継桜王子、高原熊野神社、奇絶峡、龍神山、天神崎
上富田町: 八上神社、田中神社
白 浜 町 : 金刀比羅神社
串 本 町 : 九龍島