1906(明治39)年7月、熊楠は和歌山中学時代からの親友で田辺町で開業医をしていた喜多幅武三郎の媒酌で、闘鶏神社の宮司田村宗造の四女(1879(明治12)年生)の松枝と結婚した。翌年6月、長男熊弥出生。1911(明治44)年10月、長女文枝出生。
熊弥が生まれるまで、熊楠は、よく遊びに来る野田家の猫にチョボ六の愛称を贈っていたが、熊弥が生まれて間もなく、チョボ六はチョコ六と改まり熊弥の愛称となった。父母の愛と知友の期待につつまれて成長した長男熊弥が突然発病したのは、1925(大正14)年3月高校受験に出かけていた高知でのことであった。以後、病勢はついに回復せず1960(昭和35)年2月18日生涯を閉じた。妹の文枝は「とてもやさしい兄でした」と語っている。
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