南方熊楠顕彰館資料、白浜の記念館との違いについて
Q➀「田辺にあった一級の資料が白浜に奪われた」と田辺の人が思っている、という記事を目にしたのですが、そうなのですか?
⓶南方熊楠顕彰館にはどんな資料が保管されているのですか?
⓷両館の違いは?
⓸また、近くに同じような施設があることをどう思っていますか?
A➀「田辺にあった一級の資料が白浜に奪われた」という話は直接聞いたことはありませんし、当館では特に白浜に一級資料が行っているととは思っておりません。どちらの資料も非常に大切なものです。
⓶南方家に遺された資料は、妻松枝、娘文枝により守られてきましたが、1965年に白浜に南方熊楠記念館が開館した際、文枝の夫である岡本清造を中心に、熊楠の一生を辿る展示をする博物館として、観るに値するものを選定しています。その後、文枝により隠花植物標本約25000点は国立科学博物館に移管されています。顕彰館が所蔵するのは2000年に文枝がなくなった際南方邸に残っていたもので、蔵書、資料、遺品、高等植物標本等約25000点です。25000点といっても、続きものは基本的に1点として数えています。例えば『ネイチャー』は1100冊以上ありますし、熊楠が執筆するときに利用した『淵鑑類函』という中国の百科事典も160冊ありますが、いずれも1点として数えています。
当館所蔵資料の代表的なものは
南方マンダラ、両界(第二)マンダラ
南方二書
履歴書
腹稿(27点)
日記(58冊中56冊)
ロンドン抜書(52冊中49冊)
田辺抜書(61冊中59冊)
孫文来簡
柳田国男来簡
ミナカテラ・ロンギフィラの図
キャラメル箱(森永4個、新高製菓1個)
などです。
また、熊楠関連写真の原本は、ほとんどが当館所蔵です。
詳しくは所蔵資料・蔵書一覧をご覧ください。
なお、この数に含まれない整理中の資料や寄贈資料もあります。
でも、やはり当館の最大の展示物は1916年から1941年に亡くなるまで熊楠が住み、研究の場としていた「南方熊楠邸」です。
熊楠が生活していた当時の姿に復原していますので、書斎の縁側に腰をかけ、熊楠の息吹を感じていただけたら幸いです。
⓷当館は基本的には研究色の強い施設で、南方熊楠顕彰会、南方熊楠研究会を組織し、顕彰会の会員向けには年2回機関誌『熊楠ワークス』で講演会の内容やソフトな研究成果を発表しています。研究会では紀要として『熊楠研究』を年1回発行し、最新の熊楠研究の成果を発表しています。
展示に関しては常設展示で簡単に田辺のまちと熊楠を紹介しており、年6回の企画展(特別企画展、月例展、企画展)で研究成果の発表の場も兼ね時宜にかなったテーマの展示をし、所蔵資料を公開しています。
ただ、もう少し幅広い世代の方々に熊楠のことを知っていただきたいので、今年度常設展の展示替えをおこなっています。
春休みには、リニューアルした常設展示をご覧いただけるよう頑張ってますので、ご期待ください。
記念館の建設当時、岡本はこう語っています。
「白浜のように記念館を建て、それに資料を展示して多勢の人に見てもらう・・・(田辺は)ひたすら研究に没頭するなどの精神的な面を昂揚する・・・田辺はなんといっても本家ですから、ここへ精神修養の場を建て、ここへも遺品を展示して青年らがあつまり、南方の気風をしのんでもらう場としたい・・・」
後世の担当者がこの岡本の意思通りに動いたかどうかは分かりませんが、両館の性格は基本的にこの岡本の言葉にあらわれているのではないかと思います。
⓸観光動態調査によると平成29年度の田辺市の観光客数は364万人、白浜町は346万人です。
田辺市は白浜町よりも観光客が多いのか?と疑問に思われるかもしれませんが、広域合併後の数字ですので、田辺市には本宮や龍神なども含まれています。
それぞれ旧市町で見た場合、田辺は104万人、白浜は331万人で、白浜の観光客数は田辺の3倍以上ということになります。
観光地である白浜の記念館には、隣に京都大学白浜水族館もあり、熊楠に興味がない方も入館します。
田辺はもともと観光地ではなくビジネス街です。その田辺にある当館の来館者は、コアなファンの方が多いです。社会見学を除き、ほとんどが当館を目的に来られる方です。
熊楠ファンの裾野を広げるには、興味のない方に「熊楠」の名前を知ってもらう必要があり、その意味でも白浜のような観光地に記念館があるのは喜ばしいことではないでしょうか。
そそげ
質問:柳田國男と南方熊楠の間でやり取りされた「そそげ」の研究をしているのだが、どこに載っているのか?
回答:南方熊楠全集(平凡社)の別巻二に索引があります。
「七難の揃毛」を引くと、全集の2巻に『郷土研究』への論文、8巻に柳田との書簡が掲載されていますので、そちらをご覧ください。