植物学者・南方熊楠について両極端の評価がある。「植物学の大家である」という評価と「偉大な文学者であっても偉大な植物学者ではない」というものである。
熊楠が主として研究した植物は、シダ、コケ、藻類、地衣類、キノコなどの花を咲かせない植物、すなわち隠花植物である。在米時代に菌類学者カルキンスから隠花植物研究の手ほどきを受け、植物の宝庫であるフロリダ、キューバヘ採集に出かけたことが若い熊楠に強い影響を与えたようだ。
隠花植物の仲間に、奇妙な生物・「変形菌」がいる。「粘菌」とも呼ばれ、「菌」とつくにもかかわらずアメーバのような生活をする。成熟すると、キノコのように胞子を作って休眠する。胞子は、発芽して再びアメーバになる。系統上、生物界のどこに位置するか定説がない。現在のところ分類方法により異なるが、アメーボゾアや原生生物として扱われたりしている。熊楠は、この変形菌に強く引かれて研究した。アーサーとグリエルマのリスター父娘との共同研究によって、熊楠は日本産変形菌の種数を、この方面の研究の先進国であるイギリスやアメリカに次ぐ数にまで高め、日本の変形菌研究史に輝かしい足跡を残した。
しかし、熊楠は、変形菌だけではなく、淡水産の藻や「真菌類」と呼ばれるキノコにも大きな力を注いでいる。丹念に作られた4,000枚以上の藻の顕微鏡用プレパラート標本と詳細な英文説明の付いた3,000種を超えるキノコの彩色図が残されている。
ところが不思議なことに熊楠は、変形菌の目録以外にはほとんどまったく隠花植物研究の成果を発表していない。発表していなければ評価の仕方がないのである。噂だけが流れたために評価が極端に分かれてしまったのだろう。南方熊楠の植物学者としての正しい評価は、彼の残した莫大な数の標本が整理されて研究されるまで待たなければならない。