稲荷神社
稲荷神社は稲成川の東に広がる南向きの丘陵地上に鎮座しています。古い村名をつけて、伊作田(いさいだ)稲荷神社ともいいます。
稲荷神社の社叢の主要樹種はコジイで、全体の70~80パーセントを占めている典型的なコジイ林です。森林は樹高13~15メートルの林冠をもち、コジイのほかにヤマモモ・モッコク・タブノキ・ヒメユズリハ・モチノキ・ホルトノキなどの大木が混じっています。森林内にはタイミンタチバナ・ミミズバイ・サカキ・ヤブツバキなどの亜高木やセンリョウ・マンリョウ・ヤブコウジ・ツルコウジ・コクランなどの林床植物が生育しています。
森林の周辺が人家や果樹園に開発されている上に、拝殿が森林の最奥部にあり、それに通じている広い路が二本もあるため、林内はかなり乾燥して二次林的な様相を帯びています。
しかしこの森林は、昭和初期ごろまで拝殿の周辺部には、さらに深い森林が残されていた模様で、熊楠・宇井縫蔵らの調査記録によると、ムギラン・カヤラン・ヨウラクラン・フウランなどの着生植物が多数発見され、当時の植物研究家から注目されていたようです。これら着生植物は霧湿りするような深い森林内の樹幹に生育する植物であることから、かつての状況を推測することが出来ます。
現在の森林は、市内の他の神社林に比べて、大木が少なく林床植物も貧弱ではあるが、残存自然林の面積が他より大きいこと、森林全体が安定方向に回復していることにより、将来が期待され厳重に保全されています。
田辺来往のはじめから近郊の神社林を求めてよく出かけたが、ことに人の手の入っていないこの稲荷神社の森はかっこうの採集の場であった。1915(大正4)年、熊楠が「郷土研究」に投じた稲荷神社に関する一文には、
田辺近処稲成村の稲荷神社は、伏見の稲荷より由緒古く正しいものを、むかし証文を伏見より借り取られて威勢その下に出ずるに及んだと言う。今も神林鬱蒼たる大社だが、この神はなはだ馬を忌み、大正二年夏の大旱にも鳥居前で二、三疋馬駆すると、翌日たちまち少雨降り、その翌日より大いに降ったと言う。しかるに老人に聞くと、以前はこの鳥居前に馬場あって例祭に馬駆したと言う。されば馬場がなくなってから、神が馬嫌いになったものか。
とある。
文中に「今も森林鬱蒼たる」神社だとあるが、しかし、この宮の森に伐採の危機がなかったわけではない。1914(大正3)年4月27日付けの牟婁新報には、熊楠によって伐採をとがめられ、その抗議により郡長から村長に伐採中止の勧告があったことが記されている。また、29日の同紙には、稲荷社のシイの森林は「本邦希有の珍品」で、植物学会のために保護すべきであるとの熊楠の談話が掲載されている。
【熊楠ワークス3号(南方熊楠ゆかりの地を訪ねる2 稲荷神社 中瀬喜陽)より】
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