上松は新潟県長岡出身で、古河鉱業の門司支店長を務めたが、薬草や香道に詳しく、書を能くし、摂政宮への粘菌標本献上にあたっては、その表啓文を浄書した。上松が熊楠の名を知ったのは少年期であったが、直接の交流は同郷の友人である小畔四郎の紹介によるもので、現存の上松宛書簡の最初が1914(大正3)年12月9日付(上松39才)である。現存約500通。筆記具、顕微鏡、書籍の購入など熊楠の手足となってよく尽くしている。上松書簡は伝記的資料に富む。上松は小畔四郎・平沼大三郎と共に熊楠門の三羽烏と称せられた。
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