南方熊楠賞選考委員会(人文の部)
委員長 赤坂 憲雄
第32回南方熊楠賞(人文の部)は、慎重に審議した結果、南方熊楠賞の受賞者に江原絢子氏を選考した。
第32回南方熊楠賞選考委員会は、その受賞者として、調理という作り手の視点から日本における食物史という学術領域を開拓してきた、江原絢子氏を選考した。
江原氏は1943年島根県に生まれ、お茶の水女子大学家政学部で食物学を学び、高校教諭を経て、東京家政学院大学で長らく教鞭をとってきた。これまで家政学は、ややもすると女子大学や女子短期大学における一種の花嫁修業のような位置を与えられ、学術領域として軽視される傾向にあったことは否めない。斯学が対象とする3大分野「衣」「食」「住」のうち、「食」分野について、石毛直道氏(第24回南方熊楠賞受賞、2021年文化功労者)が幅広い視点から「食文化」を学術領域として構築していくのと並行して、江原氏は作り手の立場に基づき、調理という観点から日本の食文化を深く探究し、学術領域としての確立に大きく貢献した。
江原氏の貢献は、化学的かつ物理的な変化で説明する自然科学的な立場に依拠するよりもむしろ民俗学的な着眼に基づいている。例えば、米を研いだあとの「手ばかり」の水加減が米の分量を変えても有効であると実証することによって、人びとのあいだで経験的に獲得され、伝承されてきた知識を再評価した。
このような着眼点から出発した彼女の仕事は、2つの方法論からなっている。ひとつは、近世および近代の料理本に記載された料理を再現することである。もうひとつは、それらの記載内容と実生活における料理との関係を確認するため、江戸時代の名家の料理や全国各地の郷土料理を調査することである。これらはそれぞれ、日本の料理について時間的に遡る文献学的手法と、空間的に広げる文化人類学的手法に相当し、両輪として日本料理研究の基盤となっている。
江戸時代になると、「料理書」が出版され、不特定多数の人を対象に広まっていった。1700年代中期以降には、料理屋の広がりによって、遊び心を盛り込んだ自由な料理書なども出版されるようになる。江原氏は、記載された料理を再現し、実際に目でみて味わうことによって、料理書それぞれの性格をも明らかにすることに成功した。とりわけ、「大江文庫」(東京家政学院大学附属図書館所蔵)の研究は、「和食」のユネスコ無形文化遺産登録と関連する調理文化研究の1つとなった。明治時代後期になると、高等女学校が全国に設立されるようになり、料理書は教科書として利用されるようになる。江原氏はそれらを網羅的に調査し、家庭から学校へと教育の現場が変化するにともなって調理手法も変化したことを明らかにした。文献読解と現地調査をより合わせた10年余に及ぶ研究成果は、学位論文としてまとめられ、『家庭料理の近代』(2012)に結実した。
なお、こうした時間軸と空間軸を備えた総合的な視点から『日本食物史』(2009)や『日本食文化史年表』(2011)がまとめられており、未来に託す貴重な遺産となっている。
さらに、江原氏の功績として特筆すべきは、学会活動を先導し、地方、女性、次世代の研究者養成に大きく寄与している点である。例えば、1985年に実験科学を中心に(一般社団法人)日本調理科学会が設立され、1995年から家族のあり方など人間的次元を取り入れた総合科学を目的として掲げられると、江原氏は、豆やいも類の調理をめぐる地方の多様性に関する共同研究を200人以上の学会員を組織して、全国的に聞き書きを推進した。また、1988年には(一般社団法人)日本家政学会の部会となった食文化研究部会に、2005年、学術雑誌『会誌食文化研究』が創刊されると、家政学のほかに民俗学、文化人類学、農学など諸分野から若手研究者が参加するようになり、江原氏は毎夏、現地での郷土食に関する研究会を開催して、学会活動の地方展開を推進した。
以上のように、江原氏の研究は、人びとの暮らしのまわりに広がる文化に対して文献渉猟と現地観察を徹底するというスタイルをとっており、その点で、南方熊楠の精神に大いに通じていると言えよう。それゆえ、同氏を第32回南方熊楠賞受賞者に選考した次第である。