南方熊楠(1867.5.18~1941.12.29)は、博物学、民俗学の分野における近代日本の先駆者的存在であり、同時に植物学、特に「隠花植物」と呼ばれていた菌類・変形菌類・地衣類・蘚苔類・藻類の日本における初期の代表的な研究者です。
和歌山城下に生まれ、1887年~1892年にかけてアメリカ、キューバで植物を収集し、渡英後、1900年に帰国するまでは大英博物館の円形閲覧室を中心に様々な国の文献から情報を収集していきました。人文、自然科学にこだわらず、森羅万象、自分が興味をいだくあらゆるものを記録すること、それが熊楠のスタイルでした。
著述の分野では、1893年の「東洋の星座」を皮切りに、在英時代、那智時代は『ネイチャー』『ノーツ・アンド・クエリーズ』へ投稿、1904年那智を去る直前から国内雑誌への投稿を開始し、『人類学雑誌』『太陽』『大日』『日本及日本人』など、多数の雑誌に論文を投稿しました。1911年からは柳田國男との書簡の往復が始まり、柳田らが結成した郷土会(郷土研究会)の機関誌として1913年に『郷土研究』が刊行されると、論文を寄稿し、草創期の日本民俗学に大きな影響を及ぼしました。
植物学の分野では、特に有名なのが変形菌についての研究で、数度にわたって変形菌の目録を発表、新種を発見するとともに、36種しか記録されていなかった日本の変形菌相に178種を追加するなど、変形菌研究の歴史に大きな名を残しています。
明治末期、政府が神社合祀政策を推し進めると、新聞や雑誌に反対意見を投稿するとともに、中央の官僚、大学教授などに書簡で貴重な自然や神社林、史跡の保護を訴えました。その他、神島の天然記念物指定に尽力するなど自然保護活動を行いました。熊楠や地域住民が守った神社や神社林、景勝地は、今もその価値を認められ国の文化財や世界遺産になっています。